人生の決断
Hisako
井上が聞きたいことが中心に、お二人に質問させてください。
私たち3人の共通点は同じ年。それぞれ違う人生を歩みながら、時期は異なりますが、以前、「人生の決断」をした経験について話したことがあります。人生には、ふとした瞬間に、今までやってきたことを“手放す勇気が訪れること”があると。名穂さん、フィンランドからも戻ってくる時の“決断”についてお話ししてください。
Nao
もはや、インドの人みたいに話していましたが、私は、日本の大学卒業後、フィンランドの首都ヘルシンキにあるUniversity of Art and Design Helsinki (現在 Alto University)で、修士に通いながら仕事をして5年間在住していました。
日本の大学在学時、同い年のフィンランド人女の子が私の大学に留学にきて友達になり、私がヘルシンキに引越してからは、彼女とずっとルームシェアしてました。彼女とは今でも、家族のように仲良くしています。フィンランドの人は、とてもシャイな人が多く、親しくなるまでに時間がかかります。でも、留学をした時の私は、彼女の友達たちとすぐ仲良しになれて、現地の文化や人にスムーズに溶け込むことができました。フィンランドの生活スタイルはとてもシンプルで、私の性格にも合っていたと思う。自分がやりたい仕事やプロジェクトにも就けたので、ヘルシンキは住みやすくて居心地がよかったです。
しかし、ある日・・・・・
周囲の友達も、まさか私が日本に帰るなんて思いもしませんでした。ある日突然、”東京に帰ろう”と思ったのです。もし、この決断を重視しなかったら、さらに5~10年はヘルシンキに住み続けていたと思います。帰国の決意を周囲の人、友達に伝えたら、とても驚かれました。正直、その時、この決断が何を意味してるのか自分でもよく分かってなかったと思う。東京に帰ってきたことに、自分なりの意味を見出したのは、ずっと後のことです。
Hiromi
私も、13年間経営していたカフェを閉じようと思った時は、ふわっと紐解かれた気がして、次のステップへ行く時だと思えたからです。人間はつい、ウジウジと立ち止まり、自分が守るものに執着してしまいますが、急に手放してもいいと思えるタイミングが来るのです。これが直感というものでしょうか。急なタイミングで!タイミングを嗅ぎ分ける感覚。私の場合は、「ネパールに行く!」という決断でした。
Hisako
私は、20歳の時に、10年後に渡米する決断が自分を動かし、夢を実現するために、ただただ邁進する日々でした。周囲の人からどんなことを言われても気にならぬほど、集中していたように思います。実際に31歳でアメリカに渡り、若干30代前半の経験不足、力不足を理解して帰国しました。しかし、アメリカで、自分がやるべきことが見えたからこそ帰国してからは、次の10年後(40歳代)までにスキルを磨く日々を過ごし、41歳でドイツに渡りました。その時も、今までやっていた仕事を「辞めますね」と後先考えずに決断し、ドイツに渡りました。
不思議なのが、現地に知り合いがいなくても、”なんとかなる”という精神で堂々としていられること。そして、現地のコミュニティに緊張感なく順応していけること。人によっては、心の壁を作ってしまう人もいるでしょう。でも、名穂さんもヨッシー(Hiromi)も私も、外国の文化を許容し、コミュニケーションをとることができる性格だからこそ、堂々としていられる由縁かもしれません。
ヨッシー(Hiromi)がネパールでチャイを様々な場所で振る舞う際も、揺がぬ自分のスタイルがあるから、現地の人たちもそのオーラを嗅ぎ取り、ヨッシーが作り出す空気感と目的に巻き込まれ、理解してくれるのだと思います。もし、チャイを振る舞うという目的が揺らぐものであったら、現地の人たちは楽しんでくれなかっただろうし、ヨッシーの周りに集まらなかったと思います。
空気を作って、今日の場所を作る。見えない時間をデザインしていると思います。
におい事情
お二人に質問で、インドとネパールに共通するキッチンのルールや、スタイル。食生活から感じる現地の人の体臭について教えてください。多分、食べ物や体内細菌によっても、体臭は異なると思います。
Hiromi
名穂さんの本に書いてあるスパイスや石のスマッシャーなどの道具は、ネパールも共通していて、野菜中心の食生活も似ています。基本的に、北インドと南インドは人の気質も食文化も異なります。ネパールと南インドの共通点は、食文化と街の匂いも似ていて、人も似ているように感じます。コミュニケーションを取る人と人の距離がとても近いように思い、私が出会った人たちは、出会ったばかりなのにプライベートな質問などをしてきたり、人懐っこくて、親しみやすかった。(笑)
Nao
私は、実は、人見知りなので、基本的に人との距離を取ることが多いと思います。私がデザインしているさわる地図やティーパーティーは、会話のきっかけとなる「カンバセーション・ピース」を作ってるんだなって思ってます。
私自身も、相手に初対面からプライベートなことを聞かれることは少なくて、2、3回会って心の距離が近くなる感じです。
Hiromi
あははは。(笑)個々の性格、キャラクターによるものですね!私は、ネパールで積極的に人にコミュニケーションを取っていたので、現地の人たちも親近感を持って質問や会話をしてくれたのかも!
しかし、外国にいるという緊張感は、自分の中に常にあり、危機感を持って過ごしていると思います。日本にいる時とは異なる緊張感で、現地の人とのコミュニケーションの作り方を常に考えていました。
Nao
インドのキッチンはとても清潔できれいにしている認識があります。キッチンには、常に人がいて、使い終わったら床に水を撒いて清潔を保っています。自然の力が強い環境のため、微量でもクッキーの粒が落ちているだけでも虫が寄ってきてしまうので、最後は床に水を撒いて清掃しています。
私が体験した南インドの空間は、日中は窓は開け放たれ、模様を描く鉄格子で外と隔たれているだけで、天井には大きな扇風機がいくつも回っているので空気が篭ることはないです。キッチンの窓も、いつでも開け放たれているから、他の部屋にいても、キッチンからマスタードシード(スパイス)の香りが立ち上がってくるのは、料理ができた合図です。
Hiromi
たとえば、ネパールの場合は、キッチンには”神様がいる聖なる場所”。だから、女の人が生理の時は入ってはダメという式たりがあったりします。
Nao
生理の時に女性がキッチンに入れない、というのは、私は映画の世界でしか知らないけど、どのキッチンにも神様が祀られているね。
Hisako
薪でチャイをいれるのは、日常的に行われていること?
Hiromi
ガスは、一般的な地域はガスだけど、たとえば、ポカラからバスで約1時間ほど行った村だと、薪が日常だったりします。以前、ネパールの国境が閉鎖した時、ガス不足で都心も薪生活になった時がありました。
そして、毎日停電があり、長い時は2〜3時間続くのは当たり前!!短い時は、20分程度で復活する時もあります。お風呂入る時に停電になると最悪!明かりも光もないから、真っ暗で困ったことがあります。シャワーも太陽熱を利用しているので、2、3日雨天が続くと、お湯を浴びられません。
Nao
インドでも、特に田舎は、電気やガスが安定供給されていないから、薪での生活はわりと普通のこと、という印象を受けました。
4年前に本を作るときに訪れた、漁村では、毎日10時間停電すると聞きました、その時はチェンナイでも時々停電があったけど、今は、だいぶ良くなってます。
伝統的な民家では長い軒があって、雨には濡れないから、軒先も料理空間になっている民家が多いかな。
Hiromi
スコールの時は大変。雲が出てきたら3分くらいでずぶ濡れ。
ポカラは道路が整備されていないので、外出先で雨に降られると最悪で、ずぶ濡れで帰るしかないの。
黒い雲が空を覆ったら走って帰る合図。しかし、いつも気がついた時には遅く、普段なら歩いて5分の場所が雨水で川になってしまい、足止めを余儀なくされます。お店に入って3時間くらい待つしかありません。歩いて5分のところをタクシーに乗って高い運賃を払うのも尺だから、待機するしかないの。
Hisako
今の話を聞いていると、日本の便利な生活とギャップを激しく感じるのですが、ヨッシーは、そこにすぐに順応できるの?明らかに不便であって、大変だと思うのですが。
Hiromi
”そういうものだ”と思うから、不便だと思うけれど、仕方がない。
日本だと完璧が当たり前で、バスとか電車も遅延するとイライラするけど、現地に行くと、受け入れられる。あとは、期間限定の旅行者という意識があるから楽しめるのかもしれません。移住して生活したり、ビジネスをすると考えたら、シビアに考える人が多いと思う。
Hisako
生活感覚や価値観の違いは大きいですね。そして意識的な緊張感も。
ヨッシーがネパールにいる時、SNSにアップされる顔が生き生きしていい顔だったことも印象的でした。鎌倉でカフェを経営していた時の顔と比べると緩やかな顔でした。やっぱり、今までは、お店の経営を背負っている顔だった気がします。きっと名穂さんもヘルシンキの時の顔は外国人のような雰囲気で、顔つきも違ったのかなと想像します。食べ物や空気感によって人柄が表出するので。
私は、アメリカにいた時は、9.11の直後で警戒レベルが厳しかったこともあり、毎日、緊張感を持って過ごしていて、街を歩けば人種差別も当然のごとくある日常なので、厳しい顔つきでした。国や文化が違うと人の顔つきは変わるもので、ドイツにいた時は、逆に生き生きしていたと、日本から遊びに来てくれた友達に言われました。
名穂さんがフィンランドのコミュニティーに順応できたのは、日本人を介在してない現地の人との交流が大きな影響を与えていたと思います。私もドイツにいた時は、日本人を介在していなかったので、現地の生活やドイツ人文化にスムーズに入ることができました。
また、私のアーティスト活動が一風変わっていることも利点に働きました。「匂いを嗅いで言葉にするアーティスト」として、クレイジーな人だ(いい意味で)と友達を沢山紹介してもらえたことも良い経験でした。
日本人は、見えるものに安心感を抱き、そこで情報理解を完結したがるけれど、海外だと、見えないことへの哲学があるので、匂いのように可視化できないことをマテリアルにして活動する私にとって、ドイツは、活動しやすい文化であり国です。
あとは、常に「助けてくれオーラ」を無意識に出していると、当時、同じレジデンスに滞在していたオランダ人の友達に言われました。
Hiromi
他力本願!!
皆が助けてくれるのも海外の良いところ。日本では、それができない。根本的に人に甘えてはダメ、完璧にこなさなければならないと思っちゃう。だけど、海外だとのびのびしてチャイを煎れていたな〜。
今後を見据えて
Nao
フィンランドから帰国して11年。触る地図を作り続けていたり、展覧会の会場構成などもできるようになってきて、学生時代から美術館の仕事がしたいと思っていたから、今はとても幸せです。できるだけこの仕事を続けていきたいと思っています。開かれた学びの場をこれからも作っていきたいなってと思います。
今回、ヨッシーと会い、一つのことを極めて続けていくことは、継続していく自分自身のパワーも蓄えていく強さが必要だと思いました。どのように自分に栄養を与えていくのかを考えることも大切。そういう意味で、自分が思っていることを今後どのように繋げていくかを考えることができました。
Hiromi
私は、チャイのお店の経営と今後も旅を継続すること。両方のバランスをとって生きていきたいです。どんなことでも好きなことを続ける事とモチベーションを保ち続けることは大変だと思いますが、とても大切なことだと思います。
名穂さんの本(英語版)を愛読してから、日本に帰国して日本語版も購入して熟読して、表現の違いがなるほど!と感銘を受け、素晴らしいのです!
コロナが収束して、海外に行けるようになったら、南インドに行きたいです。他の国へも足を運びチャイを振る舞う旅を続けたいと思っています。そのためには、健康維持が大切!体力づくりもして旅に備えます。
今度ネパールに戻る時は、言葉も勉強してコミュニケーション取れるようになりたいと思っています。
参加者からの Q and A
Q意識を変える匂いについて教えてください。
Hiromi
A.
ネパール全土を訪問中は、ポカラに家を借りていました。ここは実際の自宅(日本のような)ではないけれど、旅先から戻り、ドアを開けるとムワッとした独特の空気感を感じて、家に帰ってきたと感じてほっとしました。そして、すぐに、次はどこにいこうかなと心にスイッチが入るのです!
家という基準でいうならば、布団の匂いはそのイメージがあります。
”新しい場所に来たな”と自分の意識が変わる時は、バスに乗った時です。バスには様々な民族の人が乗っていて、なんとなく匂いが違い、私はこの方向に向かっているんだわ!と意識するのです。いつも、だいたいこれだな!と直感的にバスに乗ったり、行先を書いたメモを周囲の人に見せて、「行くよ!」と言われたらそのバスに乗り込むという、無謀な旅を続けていたので、目的地に到着する瞬間に意識のスイッチが入ります。
Nao
A.
音や人と会話している時に、意識が変わるように思います。
場所で言うなら、空港の匂いかな。
フィンランドの時は、空港について、-20℃の外に出た時、ピリッとした空気で意識が変わります。
あと、いつもコペンバーゲンで乗り換えする時、空港で一人だなと思う瞬間が嬉しいのです。
様々な人が行き交う空港は、体のサイズも民族も異なるから、自分自身を感じて、自分を開く瞬間だと思っています。違う民族と環境だからこそ、コミュニケーションが必要になってくる。
海外に滞在する時は、地元の食材を買えるお店を探したり、居心地が良い場所を見つけて、普段の生活を早く送れるようになりたいって思ってます。全身で飛び込むほうが感覚を通して知ることができるから。外国の地に、自分のホームベースを作る感覚です。
あ~、旅に出たくなりました。
以上 2020.9月Hisako
2021年助成:公益財団法人 小笠原敏晶記念財団
2020年助成:横浜市文化芸術支援プログラム、文化庁芸術家支援助成
2020,2021年 協力:白須未香氏プログラム:This workshop was partly supported by JST-Mirai Program (JPMJMI17DC, JPMJMI19D1)
KAKENHI grants from the Japan Society for the Promotion of Science (18K14651).
Home page image photo: 南俊輔